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2019年8月31日土曜日

好打・菊川[今治西高-中京大] 男子ソフトU23代表初選出_8月22日愛媛新聞

2015年夏の甲子園に出場した西高出身の菊川智己選手が男子ソフトU23代表に初選出されました(8/22.愛媛新聞)。全文掲載しておきます。

ソフトボール男子のU23(23歳以下)日本代表に、今治西高野球部出身で中京大3年の菊川智己外野手(20)が初選出された。9月12~24日にインドネシアである強化合宿を前に、菊川は「いい選手のプレーを吸収し自身のレベルアップにつなげたい」と意気込む。  

八幡浜市川上小で1年からソフトボールスポーツ少年団に入団。4年から硬式野球に切り替え、今治西高では2年時に甲子園に春夏連続出場した。  

大学で約10年ぶりに握ったソフトボールだが、「はじめは真剣にやるつもりではなかった」という。野球より短い距離感やプレーのスピードにすぐにはなじめず、高校まで得意としていた打撃が鳴りを潜めたことで、負けん気に火がついた。先輩らにアドバイスを求め技術を磨き、小技あり、長打ありの左の好打者に成長した。  

5月の東海地区の大学リーグ戦ではベスト10に選ばれる活躍でチームを優勝に導き、代表の座をつかんだ。「うれしいがここからがスタートだと思って気を引き締めている」。合宿では強豪国チームとの対戦も控えており、実力を試す絶好の機会と捉え、来年以降のアジアカップやワールドカップ出場も視野に入れる。  

18日には国体四国予選に愛媛選抜の補強選手として地元・八幡浜のグラウンドに登場。2試合で6打数6安打と打棒を発揮し、茨城国体出場決定に貢献した。「ソフトボールの魅力を発信できる選手になりたい」。「EHIME」や「JAPAN」のユニホームを着続けようと思いが膨らんでいる。


 

朝夕仰ぎて27の次回集会は、今治新年会(1/2[木]昼食会)、大阪新年会(1/18[土]?)、東京:土屋俊介君を囲んで(11/16[土]昼食会)。 

2019年8月23日金曜日

西高ハンドボール男子,インターハイ6回目で歴史的初勝利!!

概報の通り、西高ハンドボール男子は県大会で優勝し、熊本でのインターハイ(高校総体)に出場。84日の1回戦で國學院大學栃木を2016で破り、歴史的初勝利を挙げました。

野球部程、余りピンと来ませんが、西高ハンドボール男子は過去57回のインターハイで、今年やっと6回目の出場。これまで勝ったことが無く、今回は文字通り、歴史的初勝利となりました(ハンドボール部古参OB)2回戦は熊本国府に2126で敗戦(85)。今後も、野球部共々、健闘を祈ります。


 朝夕仰ぎて27の次回集会は、今治新年会(1/2[木])、大阪新年会(1/18[土]?)、東京:土屋俊介君を囲んで(11/16[土]昼食会)。

2019年8月15日木曜日

宮田修二君逝く(106‐204‐308.令和元年7月24日)

宮田修二君を8月10日蛍雪会総会(今治国際ホテル)と11日潮流体験(大浜漁港)に誘っていました。メールしても、携帯に電話しても、中々返事が無いので、6月以降、何度か、しんどいと本人から聞いていたこともあり、そうなのかなと思っていると、10日の11:32に携帯が鳴り、画面には"宮田修二"。やっと、当日になって出欠の返事かと思って電話を取ると、「宮田修二の従兄弟です。」
 
声は聴き馴れた本人の声です。西高時代は寡黙な秀才と言うイメージでしたが、最近は結構にやけたおっさんになり、良く喋っていました。「こいつもこんな冗談言う様になったか。」と一瞬、虚を衝かれましたが、更に「宮田修二は7月24日に亡くなりました。」
 
余りに声がそっくりなので、俄かには信じられませんでしたが、「急に気分が悪くなり、救急車で病院に着く前に亡くなりました…。」 

愛媛県在住で、愛媛新聞を読んでいる同級生は、結構、宮田修二君の読者投稿を目にしたはずです。それもそのはず、投稿掲載156回を誇ります。実は宮田修二君は、信じられないほど歳は離れていますが、放浪記の作者、林芙美子の従兄弟に当ります。文才があったはずです。6月11日の投稿掲載が最後となりました。

写真左上は壬生川駅前の林芙美子の碑(2年程前に本人撮影)。右は、林芙美子が父の宮田麻太郎(宮田修二君のおじ)に宛てた手紙全文。冒頭の説明文に、林芙美子の父が旧東予市出身の宮田麻太郎であると書かれています(8月13日筆者撮影,click拡大)。この宮田麻太郎の相当年の離れた弟の、更に晩年の子が宮田修二君。正真正銘、林芙美子の従兄弟です 

最近、本人は「西条市の健康診断でも異常なし。癌じゃない。ただ、最近、しんどいんよ。」と言ってはいましたが、既に、この頃から、命のゼンマイは尽きかけていたのかも知れません。ただ、本人はしんどいだけで、まさか、もうじき人生が終わるとは思っていなかったはずです。

写真下は、この春、宮田修二君が送ってくれた壬生川の桜。そして、石鎚山は昨年だったでしょうか。花や景色が好きで、たまに写真を送ってくれました。この2枚しか手元に残していないのが、今となっては悔やまれます。文才も絵心も豊かで、世渡りは下手な奴でした。晩年は、結構、付き合いがあっただけに、残念です。

4月21日(日)、一緒に今治球場で、今治市越智郡親善交流試合(昔の四校親善試合)の西高の試合を見て、我が家に寄ってもらったのが最後になりました。電話で最後に話したのは7月初旬ではなかったかと思います。宮田、早過ぎるぞ!!


連絡ありがとうございます。 突然のことで、驚きました。 本当に残念です。 35年くらい前、(司法試験の)受験新報だったかな? 受験生向けの雑誌で宮田修二君の名前を見つけたことがありました。何の投稿だったか忘れましたが、頑張ってるんだなぁと思った記憶があります。 優秀な人材を喪失しましたね。 合掌(元クラスメート女子)。卒業の二度と揃わぬ写真かな_そして、宮田修二は伝説となった(追悼記事)

  
 

2019年8月13日火曜日

8月10日蛍雪会総会(今治)&11日潮流体験(大浜漁港)報告

8月10日(土)、今治国際ホテルで、27期が当番の蛍雪会総が開かれました。宮内先生は体調不良で不参加でしたが、まだまだお元気な豊島先生を囲んで同級生が集まりました。参加者:森京典、村上信吉、村上泰仁、佐野(竹内)のぞみ、越智博和、黒河明広、田中康寛、村上純一、菅開、正岡佳樹、谷口(阿部)祐子林(御手洗)雅子阿部(正岡)和子野間(森川)悦、白石卓夫、中村博之、垣谷光慶、八木敏行、竪石渉(以上19名)。

8月11日(日)潮流体験ツアー(大浜海岸より) 参加者:村上信吉、佐野(竹内)のぞみ、黒河明広、谷口(阿部)祐子、白石卓夫、中村博之、大道正樹、土屋俊介、佐伯久登、越智麻洋(以上10名)。夕食会:村上信吉、黒河明広、大道正樹、田中康寛、村上純一、小林亮一(以上6名)。

2日間で、のべ24人参加。一番面白かったのは、大浜漁港からの潮流体験ツアー後の昼食(大浜の浜勝)で、畳にそのまま座ると腰が痛いので、座椅子を頼んだ爺ちゃん婆ちゃん達。これが一番インパクトありましたね(写真下の方3枚)。

次回は来年正月、1月2日(木)に今治で新年会を予定しています。