先週の令和最初の西高の運動会_9月5日(木) 。毎年、1,2時間は覗きに行きますが、今年初めて気付いたことがありました。
バックネット横の野球部の一塁側ダッグアウトの裏に刻まれた、昭和48年度野球部員記念プレート(昭和49年2月寄贈)です。高1の春休み前ですから、それから卒業までの2年間、この横を毎日通りながら、在校中は気が付かず、卒業後43年後の今、知ったことになります。良く見れば、野球部の同級生の名前も数人。既に2人は故人です。
同じ中学だった中西晃君が平成25年に亡くなっていたとは、近年、地元に戻るまで知りませんでした。成人式に会ったのが最後になりました。
在校中は、その中西君の紹介で、崎山直彦君とも気心が知れる様になりました。3年時の今治市営球場での四校親善大会で、フルスイングで空振り三振した場面が、個人的には一番の想い出です。卒業以来、やっと会えたのは、平成28年1月の盛大な告別式でのことでした。
正に、この記念プレートは歴史の証人ですね。
朝夕仰ぎて27の次回集会は、今治新年会(1/2[木])、大阪新年会(1/18[土]?)、東京:土屋俊介君を囲んで(11/16[土]昼食会)。
懐かしいお名前がズラリですね。7月に山鳥渋谷店で現今治西高校の校長先生とお話する機会があり、その席で「宇佐見くんはお元気なのでしょうか?」とお話したところ、すぐにスマホで連絡してくださり、45年ぶり?くらいに宇佐見くんとお話出来ました。感謝。小松高校野球部でもその采配は素晴らしいですね。
返信削除今の子供達はこのプレートを見て、あたかも、私達が子供の頃、戦前甲子園で活躍した海草中学の嶋清一投手の話を小学館の"学習"で読んだ時みたいな、昔話に思えるんでしょうね。
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