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2022年12月20日火曜日

愛媛偉人伝、道上伯師範_12/19読売新聞

今治ではなく、八幡浜出身の柔道家道上伯師範の記事ですが、個人的に興味がありますのでUpします。

 

この記事だけではさっぱり分かりませんが、戦前の柔道は講道館ではなく、道上師範が入門した大日本武徳会が中心で、事実、天覧試合も行われていました。

ところが、戦後、GHQに軍国色が強いと解散命令と役員の公職追放を食らい、それ以降、柔道は講道館の時代となって今に至り、居場所を失った道上師範はやむなくヨーロッパに渡り、講道館ではない大日本武徳会の柔道を広めることになり、アントン・ヘーシンクを育て、東京オリンピックにオランダチーム参謀として逆上陸して、講道館の日本柔道を制することになります。

オランダ人アントン・ヘーシンクの東京オリンピック柔道無差別級金メダルの陰には、図らずも、講道館に対する大日本武徳会の意地を見せた愛媛県人道上師範の存在があったことになります。

この大日本武徳会の柔道はJUDOではなく、膠着しても審判が止めることもなく、指導もなく、むしろ、現在のグレイシー柔術に近いものでした。

そのグレイシー柔術の総帥エリオ・グレイシーをブラジルで圧倒したのが、大日本武徳会出身のもう一人の猛者で、柔道史上最強と言われた木村政彦七段(戦後講道館認定[戦後は講道館しかなかった]戦前の大日本武徳会からは四段)

12/4の記事で"柔道一直線"の動画をUpしましたが、エンディングテーマと共に“柔道監修木村政彦七段の文字が見えます。また、同冒頭には、正に東京オリンピックでのヘーシンク勝利の瞬間のシーンが使われています。

この敗北がなければ、そして、道上伯師範がいなければ、柔道一直線も、桜木健一も吉沢京子も、そして、近藤正臣が足の指でピアノを弾くこともなかったことになります(あれは子供心にもショックじゃった)。

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